この記事では、実話を基にしたいじめに対する報復殺人事件や復讐方法についてまとめました。
いじめっ子に対する本当にあった報復殺人の実例は、いずれも胸糞悪いものばかりです。
【実話】「やりすぎ…」いじめの仕返し・報復で起きた復讐殺人事件
紹介するいじめの報復殺人事件は、昭和から令和にかけてニュース沙汰になった実話を中心に取り扱います。
- 肉体的な攻撃
- 言葉の暴力
- 社会的排除
- SNSに関するもの
いずれも被害者に同情の部分はあるとしても、取り返しのつかない悲惨な事件ばかりです。
1955年:三枝子ちゃん殺し
静岡県で起きた当時17歳のニート男性による、幼女強姦復讐殺人事件です。
小学校時代に同級生からいじめを受けていたニート男性は、同級生に復讐を果たすために妹を殺害する事を決意しました。
いじめっ子の妹である三枝子ちゃん(当時8歳)を自転車で誘拐したあと、翌日までにかけて性加害を繰り返し荒縄で絞殺。
ニート男性は、三枝子ちゃんが生き返るのを恐れて遺体の口と鼻に砂利を詰めてから地中に遺棄するという、やりすぎとも言える報復行為に及びました。
1958年:福島県同級生刺殺事件
福島県の中学校で、中学2年生の加害生徒2人が登山ナイフを用いて、柔道部のいじめっ子同級生2名を胸や腹を刺して殺害しました。
加害生徒たちは死亡した生徒からいじめの被害を受けており、彼らを自らの「子分」と称して度々暴行していました。
以前から問題を解決するために教師に相談をしていたそうですが、適切な対応が取られなかったことも影響しています。
このため、加害生徒たちは最終的に報復殺害計画を立てて実行に移されたのです。
計画ではもう1人のいじめっ子への加害も考えられていましたが、タイミングが悪かったのもあって実行されませんでした。
取り調べに対し、加害生徒2人は「別に悪いことをしたとは思っていない」と述べています。
1960年:長野県中学生報復傷害事件
長野県の中学校で、中学2年の加害生徒が授業で使用される工具を使って、いじめっ子だった同級生に対して復讐事件を起こしました。
事件の背後には、中1の夏休み以前から受けていたいじめが原因とされており、金品を要求されたり裸体を強要されていたようです。
加害生徒は友人や先生に相談できず、溜まり続けた鬱憤が爆発して、衝動的に被害生徒に襲いかかりました。
脳を損傷した被害生徒は植物人間状態になるほどの重大な障害を負ってしまい、やりすぎた加害生徒は少年院に送致されています。
事件後、加害生徒は警察への供述で涙を流しながら「我慢の限界だった」と語っており、その後の生徒たちの現在はわかっていません。
1968年:お礼参り傷害事件
1968年3月5日、福岡県福岡市に位置する福岡電波高校で、卒業間近の3年生10数人が46歳の男性教師に対して全治2週間の暴行を加える報復事件が発生しました。
この事件の背景には、学校内の権力の乱用と生徒による反発があったものです。
生徒たちの行動は「長期にわたるいじめへの仕返し」として計画されており、卒業式直後に「よくいじめたな。これがお礼だ」と宣言しながら犯行に及んだ『お礼参り』と報じられています。
別件で2月28日には同校の生徒会副会長を務める2年生が、26歳の別の教師による暴行を受けて1週間の傷害を負わされ、これに対する告訴も行われていました。
1969年:高校生首切り殺人事件
神奈川横浜市に位置するサレジオ高等学校にて、高校1年生の生徒が被害生徒を47か所めった刺しにし、とどめに首を切って殺害しました。
犯人は偽装のために自らも怪我をし「不良に襲われた」など嘘の供述をしていましたが、矛盾を指摘されて自白して逮捕されています。
犯行の動機は被害生徒によるいじめが原因で、事件当日も辞書に毛虫がはさまれていたそうです。
いじめっ子に対して怒った加害生徒は万引きしていたナイフを突き出して脅したものの、被害生徒が「お前の顔は豚に似ている」など暴言を吐いたために復讐殺人に及んだと証言しています。
1973年:仙台市中学生報復殺害事件
1973年、宮城県仙台市にある公立中学校で中学3年の加害生徒が、自宅で父親の所有していた短刀を用いて同じクラスのいじめっ子を殺害しました。
加害生徒は中学1年生の時から被害生徒による陰湿ないじめを受けており、教師に相談しても、「子供たちの間の些細なトラブル」として軽く見られ、何の対策も講じられませんでした。
心理状態が徐々に追い詰められた加害生徒は我慢を続けていましたが、いじめっ子が弟にもいじめを始めたことを機に復讐殺人を決意されたそうです。
事件の後、加害生徒は警察に自ら出頭し、「耐えられなくなった。でも、これで全てが終わると思った」と述べました。
1978年:滋賀県中学生殺傷事件
滋賀県野洲町の民家で、就寝していた同級生6人のうち2人が突如として復讐を開始し、1人が23箇所もの刺し傷により命を失い、他の2人も重傷を負いました。
事件が起きた背景には、いじめっ子から暴行や万引きの強要があり、犯行に及んだ2人の生徒は以前から仕返しを企てていたようです。
結果として、加害生徒2人については殺人事件の容疑で逮捕されましたが、死亡した被害生徒を含む4人も暴行等の容疑を認め「いじめの加害者」として書類送検となっています。
1984年:大阪産業大学附属高校いじめ報復事件
いじめを受けていた大阪産業大学附属高校3年生の2人の生徒が、学級委員を鈍器で殴打し、左目をくりぬいてパンツ一枚の状態で川に放り込んで殺害しました。
加害生徒達は物静かで大人しい性格をしており、日常的にクラスメイトのグループから主従関係や公衆の面前で屈辱的な行為を強いられるいじめを受けていたようです。
複数回にわたって教師に相談を行ったものの、有効な対応がなされなかったことが明らかになっています。
死亡した被害生徒は学級委員の役割を担っていたものの「いじめを行う主犯格」という二面性のある人物でした。
これらの無力感と恐怖が蓄積し「報復が怖かった」「いじめがさらにひどくなるのが怖い」という絶対的に死に追いやる強い意思で復讐殺人に及んでいます。
1987年:給食農薬混入事件
愛媛県の県立中学校で、いじめに苦しんでいた14歳の女子生徒2人が、給食の味噌汁に農薬を混入して43名を病院送りにした復讐事件がありました。
被害に遭った生徒の尿検査を実施したところ農薬の成分が検出され、事件前における加害生徒の不審な行動と目撃情報から容疑が判明しています。
この学校ではクラス対抗のいじめが流行しており、教員もいじめの実態を黙認していたそうです。
女子生徒は「しばらく学校に来れないようにしたかった」と証言していましたが、いじめを実行していた他の女子生徒たちは変色した味噌汁を飲まなかったため皮肉にも無事だったとか。
1988年:奈良県同級生刺殺死体遺棄事件
奈良県北葛城郡河合町で、当時中学2年生だった男子生徒が同級生を殺害する復讐事件が発生しました。
加害生徒はクラスに馴染めず「ネクラ」「もっとしゃべれ」と侮辱と嫌がらせを受けており、度が過ぎていたいじめっ子の殺人を決意します。
ターゲットとした生徒を待ち伏せし、バットで数十回殴打。その後、遺体を遺棄しましたが、事件発生から3日後に逮捕されています。
1991年:佐賀同窓会殺人未遂事件
佐賀県の旅館で、いじめに対する報復として集団殺人を企んだ赤司良治容疑者が逮捕されました。
長年にわたる復讐心を抱かせた末の犯行によるもので、中学時代に「どぶ川の水を飲まされる」「女子の前でズボンを脱がされる」という苦痛の記憶が彼を苛んでいました。
心に深い傷を負った赤司良治容疑者は18歳の頃から復讐を考えるようになり、自身が化学薬品会社の社員として危険な薬物にアクセスできる立場を利用し同窓会での大量殺害を企てます。
しかし、この凶行は彼の母親が自宅で「殺人計画書」を発見し、警察に通報したことで未遂に終わりました。
警察官が家に駆けつけた際に爆弾が爆発し3人が負傷するという事件が発生しましたが、母親の勇気ある行動がさらなる惨事を防ぎました。
1995年:福岡県いじめ報復暴行事件
福岡県内の市立中学校で、いじめに苦しんでいた男子生徒の父親が、いじめっ子2人に監禁暴行を加える事件が発生しました。
いじめを受けていた生徒は野球部に所属しており、同級生の生徒2人から日常的に暴行・恐喝・器物破損の被害を受けていたそうです。
愛知県で発生したいじめ自殺事件を引き合いに出し「自殺するときは遺書を書くなよ」という暴言も繰り返されていました。
息子の不審な行動を機にいじめを受けていたことが発覚し、父親が「いじめを辞めさせる」という名目のもとで報復が行われます。
いじめっ子2人の生徒を自宅に呼び出した後に、彼らの手足を縛って監禁し、包丁を突きつける暴行は父親の強い怒りの表れでした。
後に父親は逮捕されましたが、情状酌量の余地があると判断され傷害容疑の罰金50万円で略式起訴を受けています。
1998年:埼玉県同級生刺殺事件
当時中学2年生の少年が、自宅前の路上で上半身を複数回刺された状態で通行人によって発見され、その後死亡が確認されました。
事件の犯人は同級生による犯行による報復殺人で、当初は「被害者が自殺した」と嘘の証言したものの、犯行を認めて逮捕されました。
犯行の動機は「教科書のことで喧嘩になったから」とされていますが、更に詳しい事情聴取で「仲間外れにされていた」と述べており、いじめが殺人事件に繋がったと明かされています。
2001年:福岡県小学生殺人未遂事件
福岡県で、当時小学6年生だった少年が同級生を包丁で刺す傷害事件が発生しました。
当初、加害少年は「40代くらいの男性が自転車で逃げた」と虚偽の供述をしていたため、事件の真相は謎に包まれていたそうです。
しかし、肺に達する重傷を負いながらも奇跡的に回復した被害者が「友達にやられた」と証言したことで、少年が逮捕されます。
犯行の背景は「日頃から暴力を振るわれていた」という復讐の動機があり、リュックに隠した15センチ以上の刃物を用いた計画的なものでした。
事件後の被害者少年は順調に回復しましたが、加害者少年は少年院を出所した後に県外へ引っ越しています。
2000年:岡山金属バッド母親殺害事件
いじめを受けていた野球部の中学3年生が、同野球部の部員4名を金属バットで殴打して重軽傷を負わせ、帰宅後に自分の母親をバットで撲殺しました。
加害少年は復讐が犯行の動機でしたが、「部員を殺した(と誤解した)殺人犯の母親」として母親が社会的な非難を受けることを避けるために殺害に至ったそうです。
少年は事件後、岡山県から北海道まで自転車で逃走しましたが、16日後に逮捕されました。
2004年:石狩市中学生いじめ報復殺人事件
当時高校1年生の男子生徒が、中学時代に受けた陰湿ないじめへの復讐として、いじめっ子の母親を殺害しました。
犯人は中学時代に「カッターナイフで制服を切られる」「黒板に頭を押し付けられる」といった過酷ないじめを受けており、中学時代のアルバムを見たことで当時の辛い記憶が蘇り、復讐を決意したそうです。
犯人はいじめっ子の家を訪れ、その母親の胸や腹を数十か所刺して殺人。
事件後、彼らが通っていた中学校担任は「犯人が複数人に叩かれているのを目撃していたが、からかいの範囲と判断していた」と語っていました。
2004年:佐世保小6女児同級生殺害事件
長崎県佐世保市に住む少女が、交換日記をしていたほど仲が良かったはずの同級生を殺す殺人事件がありました。
被害者が加害者をおんぶした際に「重い」と発言したことや、SNS上での発言が加害者の怒りを買い、その関係は悪化。
加害者は精神的に不安定な状態にあり『バトル・ロワイヤル』の同人小説を執筆するなどの行動を見せていました。
この復讐心を表すかのような行動は、後に学習ルームでの悲劇的な事件へとつながる暴力性を示唆していたと考えられます。
被害者に対するいじめの証拠はなく、加害者自身がいじめられていると感じていたことが犯行の背景にあったようです。
2006年:山形一家3人殺傷事件
被害者一家はカメラ屋を営んでおり、20代の男性とその父親が数十箇所を刺されて死亡し、男性の母親は暴力を受けて脳挫傷となりました。
犯人は事件後、数十キロ離れた山中で血だらけの状態でさまよっており、その場で逮捕。
犯人と殺害された男性は幼馴染で、犯人は小学校時代に男性から性的ないじめを受けており「いじめの報復」として犯行に及んだそうです。
男性が結婚を控えていることを知り、幸せ絶頂のタイミングで長年の恨みを晴らす形で悲劇的な結果をもたらしました。
2021年:愛知県弥富市中学校内刺殺事件
加害者である中学3年生の男子生徒は朝のホームルーム後、廊下に同級生を呼び出し、インターネットで購入した包丁で刺した殺人事件。
加害者は、被害者が会話中に割り込んだり学級委員の応援演説を頼まれたりすることに嫌気がさし、これを”いじめ”と捉えていたそうです。
加害者は学校にこの状況を相談していましたが、十分な支援が得られず最終的には殺人を決意します。
しかし、実際には被害者はクラスの中心的な存在であり、学級委員を務めるなど学校内でも信頼されている存在でした。
応援演説を頼む行為もいじめではなくて信頼からの行動だった可能性が高いため「誤解から生まれた報復殺人」と言える悲しい事件でしょう。
まとめ:復讐の実話を正しく知って、やりすぎた仕返しはやめよう
いじめへの仕返しは一時的な解決に見えるかもしれません。
しかし、人の命を奪うようなやりすぎた仕返しは社会的復帰を難しくさせてしまう恐ろしい行為です。
信頼できる人への相談、教育機関や職場でのサポートシステムの活用、法的な手段への訴え、そしてオンラインでの自己防衛策など、多方面からのアプローチを考慮して実践することをオススメします。
そして、最終的にはいじめを乗り越え、自己成長へとつながる道を選ぶことが大切です。
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